11. 笑顔について
ヒポミさんの笑顔が美しい、と記したのをご記憶でしょうか。
中学時代に流行った尾崎豊が「 ♪ 俺はうまく笑えているかい?」と歌うのを聴いてドキッとした、
などと告白するのは顔から火が出そうですが事実です。
心から笑っているのに、どうして顔がついてこないのか。
いまだに続くこの違和を感じるたび、自分に足りてない何かを思い知らされるし、
こちらのぎこちなさにひきずられることなく屈託なく笑う人には、ホッとしてしまいます。
うーん、笑顔ってなんなのでしょう。
西欧人は赤の他人と目が合ったとき、ニコッとしますね。
たまに彼らのオープンマインド度あるいはナンパと勘違いする人がいますが、
あれは戦いの歴史が生んだ「自分は敵じゃないよ」のサイン。だから目は笑ってません。
ところで、ヒポミさん初訪問時に、なぜカバなのかを問うたところ、
「よく訊かれるんですけれど……優しくなりたいのかもしれない」。
そう言うヒポミさんはどうみてもエレガントな優しさに溢れているので、「え?」と問い返すと、
「というか強くなりたいのかもしれない。強くあるためには、優しくなければいけないでしょう?」
私はなんだかじーんときました。優しいから強くなれる……。
「カバにはそれを感じませんか? 気は優しくて力持ち。
どんなにカバのグッズを集めても、いちばん好きなのは、だから本物のカバなんです」
震災直後のこの言葉。ヒポ教へ改宗の瞬間でした。
もしかして、ヒポミさんが言ったのは、強さと優しさが逆だったかも知れないと今、不安になるものの、
たぶん、どちらも同じこと。ヒポミさんは強く優しいので、もっと優しく強くなりたいと言うのです。
強さと優しさの深さが、笑顔に現れるのです。
昨2011年11月、亡き辺見(3.)のお別れ会に、ヒポミさんが来てくれました。
生前の辺見にヒポミさんを会わすことはできなかったのですが、ヒポミさんが「同じ柄を二つ持っているから辺見さんに」と、NATSUKOさん作の(がま口ならぬ)カバグチをくれたことがあります。
辺見が会社に来るのは月に数回。眺めてるうちに欲しくなって、自分の分をNATSUKOさんから取り寄せていたのですが、やってきた辺見にカバの口を開けて中の鳥を見せたところ「きゃー♡ もったいなくてお金なんか入れられないわーん」。さらに「この感激を誰かと分かち合いたい!」と、私のカバグチまで持って行ってしまったのです。以来、「新しいカバはないの?」という毎度の催促に用心深くなり、「これはあげませんけれど!」と前おきすることもありました。
お別れ会でのヒポミさんの笑顔は、優しすぎて力強くて、
こんなに早く死んじゃうなら全部あげればよかった、と私の涙を誘うのです。
私の中でカバと辺見は切っても切り離せず、湿っぽくなってしまいました。
今日は辺見の一周忌。ご容赦くださると、ありがたいです。
函館ブランドOZIOの名刺入れ
完全なヒポミさん影響下での初カバがこれ。
黒いプレーンの革と思いきや開けるとピンク地、カバが河をゆく。
以来、名刺交換が快感です。少々かまって気味ににぐいっと開くと、
かまい慣れた手だれさんは「おや?」と反応してくれるのです(ただし100%女)。
これってもしや裏地派の清原・長渕モード? 自分にもそのケがあったとは。
わが人生でこれに匹敵する買物……ちょっと思いあたりません。
2012-09-21 00:11
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