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17. 池内 紀さんのカバ


カバヤ。
ひとたびカバ界に足を踏み入れた人間は、
日本カバ史に刻まれたその足跡を追うことになります。

100年前の初来日当時、今のパンダ並の人気を博したというカバ。
その後パンダやコアラが登場するまでの長いあいだ、
動物園の三大スターはゾウ・カバ・キリンでした

戦後ベビーブーム世代の親子連れが動物園に殺到した時代も然りです。
GHQによる占領が終わろうという頃から、動物園に動物たちが戻ってきていました。

ちょうどその時期、カバヤは宣伝隊を組織します。
トヨタ車を改造した〈カバ車〉を12台作って(おもに西日本を)巡回したとか。
行く先々での子供たちの喜びようが目に浮かびますね。

そしてヒポミさんが復刻カバ車などのコレクションとともに本の中で詳述してますが、
忘れてはならない最大の功績が、カバヤ文庫なのです。

敗戦後の貧しい時代、カバヤは子供たちに大人気だったキャラメルの景品を、
心憎いことに、名作文庫にしました。

かつての少年少女にとってそれがどんなに大きい存在だったか、
なんと、池内 紀さんが書いてくれました!

直筆原稿でそのカバヤ文庫物語を初めて読んだとき、涙ながらに思いました。

「今の池内さんがあるのはカバ(ヤ文庫)のおかげなのだな……」

大尊敬する方にむかってこんなことを言うのも失礼なようですが、
そう言っても許してもらえそうな大切な思い出を、分けていただきました。

二回目に読むときには、池内さんが「カバさん」と敬称で呼ぶ理由がわかるはずです。


池内 紀さんは故・辺見じゅんが、ほとんど愛するように慕っていた方。
私は心の中で〈カバのプリンス〉と呼んでいます。
威厳あるやさしさ、山男らしい逞しい胸板。
この称号がふさわしい人物は、ちょっとやそっとじゃ見つかりません。



17「日本カバ物語」カバ車.jpg
カバヤに言及したページ(写真はカバ車)

戦時中、動物園のカバはほとんどが、
餓死あるいは処分された。
カバヤのホームページによれば、
実物の見本がない中でのカバ車づくりだった
そのわりにヒゲの毛穴もリアルでお見事!

いろんな写真が残っているけれど、
手作りなだけに顔がぜんぶ違う。
大量生産時代を生きる者には、
格別にありがたく思えますね。


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